Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)
http://wrkakukatariki.blog87.fc2.com/tb.php/23-d2ae2b55

-件のトラックバック

[T3] カノッサの屈辱

カノッサの屈辱カノッサの屈辱(カノッサのくつじょく)#1077年に、カノッサにおいて神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世が、ローマ教皇グレゴリウス7世に破門の許し

-件のコメント

コメントの投稿

投稿フォーム
投稿した内容は管理者にだけ閲覧出来ます

ヴァチカン市国


新法王が決まりました。ドイツ人だそうで、これは来年のW杯に向けての決定でしょうか? (なわけない)上の写真はヴァチカンに行ったときにあった歴代法王の名が刻み込まれた石版です。右列下の方に「ベネディクト十六世」と入れられることになるのでしょう。
これからいろんな国の人が法王になったらおもしろい。黒人がなったり、日本人がなったりすることもありうるのかしらん? まあ、新法王がどんなことするか注目していましょう。(一ヶ月後に変死なんてしないでね・・・)

ヴァチカン市国って国は有名だけれどもよく分からないところもいっぱい。というわけでヴァチカンの歴史というものをまとめてみました。波瀾万丈の歴史の結果、成立した国だったんですねぇ

3?年 このころイエス処刑されるが復活
6?年 弟子のペテロが伝道しローマ教会を創設するもローマ皇帝ネロに処刑される。しかしキリスト教はしぶとく生き残ろうとし、ペテロの後継者としてローマ法王の地位が発生する。その後もキリスト教徒はローマ帝国に何度も迫害されるも滅びず。Mっ気がある宗教のためか?
313年 なんとコンスタンティヌス帝がミラノ勅令によってキリスト教公認
330年 ローマ市内のペテロが処刑されたとされる地ヴァチカンにサン・ピエトロ寺院建立
380年 テオドシウス帝によりキリスト教がついに国教化
395年 テオドシウス帝によりローマ帝国が東西に分裂、教会も東西分裂してくる
590年 このとき就任したグレゴリウス一世あたりから法王の存在が目立ち始める
610年 マホメット、神の啓示をうけユダヤ教とキリスト教をお手本にイスラム教を成立させる。この後イスラム教は中東、北アフリカを中心に発展し、キリスト教の中心は欧州に移ることになる
755年 法王の威信を利用して国王の地位を絶対のものにしようとしたフランク王国のピピンという奴が法王に土地を寄進、これがヴァチカン国のもとになる
800年 法王レオ三世が家族からのいじめから逃げてフランク王国に亡命、そこの国王カールに「お前はローマ帝国の後継人だ」と冠を授け、聖俗権協調となる。
962年 分裂したフランク国のうち東フランク国(いまのドイツ)のオットーに、またも冠を授ける。これで成立した神聖ローマ帝国は1806年まで続く
1054年 ギリシアにある東方教会と互いに破門し完全に分裂、ローマ=カトリックは我が道を進み始める
1077年 法王グレゴリウス七世が神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ四世を破門、破門されたら人間扱いされないと、ハインリヒ四世は困ってしまい、カノッサ城にいる法王に許しを乞おうとボロを着て、城の玄関前で雨風の中三日三晩お願いして破門を解いてもらった。これが「カノッサの屈辱」で、後になぜかこれがタイトルとなった番組がCXで作られる。
1096年 法王ウルバヌス二世がキリスト教誕生一千年記念に聖地エルサレムを取り戻そうと十字軍を提案、イスラム教徒と対戦する
1198年 インノケンティウス三世が法王に就任、法王権絶頂期。英王ジョンを破門、第四次十字軍を起こしたがなぜか軍は商人達に金で動かされてエルサレムではなくコンスタンティノープル(いまのイスタンブール)を占領した
1303年 法王ボニファティウス八世がフランス軍にアナーニという町で拉致される。二日後に解放されるが、おかげで発狂して一ヶ月後に死亡。法王権が失墜してくる
1309年 法王クレメンス五世がフランス王の圧力でローマから南仏のアヴィニョンに強制移住させられ、その後7代に渡りフランスの監視下におかれる
1377年 法王グレゴリウス七世がローマに帰り、次の法王にウルバヌス六世が選出されるがフランス側は対立法王クレメンス七世をたててアヴィニョンにおく。というわけで南北朝時代みたいに法王が分裂してしまう。
1409年 ピサで会議が開かれアレクサンデル五世を選出して統一しようと思ったら、かえって三分裂状態となってしまう
1417年 ドイツのコンスタンツで会議が開かれやっと教会と法王が統一される。この会議で教会の権威を否定していたフスを火刑にすることに決定。宗教改革の前兆があらわれてくる。
1517年 フィレンツェの金持ちメディチ家出身の法王レオ十世がサン・ピエトロ寺院のリフォーム資金欲しさに「これを買えば罪を許す」と免罪符を乱売、それをドイツのルターが「95カ条の意見書」で批判し大反響となる
1519年 ついにルターは法王の権威も否定、信仰は聖書に依るべきだと主張し、それに対してレオ十世はルターを破門。しかし時代は変わっていてルターに味方する人も多かったし、ツヴィングリやカルヴィンといった改革者が次々登場するようになる。ルターは聖書をドイツ語に訳したのでドイツの人たちは神父の話を聞かなくても聖書の内容が分かるようになった。そして聖書には教会や法王の権威など書いていないので、法王が偉い根拠がないと思う人が増え始める。
1529年 ローマ教会と法王に「抗議する人」からプロテスタントという名称が発生
1534年 このままではローマ教会は駄目になる、刷新せねばとイグナティウス・ロヨラやフランシスコ・ザビエルがパリでイエズス会を設立し巻き返しを図ろうとする
1534年 英王ヘンリ八世が離婚しようとしたらローマ教会が認めなかったので腹を立て、自ら英国国教会を創設、自分が教会のボスとなりローマと一線を画す。いまでもイギリスは国教会がある
1549年 イエズス会の活動の一環でザビエルが日本にやってきて布教する。布教は成功したが後に江戸幕府がキリスト教を禁止し、鎖国となり、島原の乱まで引き起こす。ローマ教会は日本の歴史にも大きな影響をあたえているのです。
1582年 グレゴリウス十三世が暦を作る。それが現在でも使われているいわゆるグレゴリ暦
1633年 ガリレオ・ガリレイ、宗教裁判を受ける。まだ教会は頭が硬かった
1809年 ナポレオンが法王の領土をフランスに併合し法王も幽閉してしまう
1870年 国家分裂状態だったイタリアを統一しようとガリバルディが諸国を次々と占領、1861年にイタリア王国を成立させ、しまいには法王の領土も占領してしまう。法王は教会に立てこもってイタリア政府と対立するようになってしまう
1929年 イタリアのファシスト政府と教会でラテラン協定が結ばれ、これにより現在あるヴァチカン市国が成立。ヴァチカン市国はファシストのムッソリーニのおかげで建国されたのであった。


ヴァチカン市国はご存じの通り世界最小の国家。面積は0.44km2(東京ドームと同じくらい?)、人口は約一千人弱、通貨はEUに加盟していないけどユーロ、公用語はラテン語といってはいるけど実際はイタリア語、国家元首に当たる人はやっぱり法王ということになります。ちゃんと大使館もあります。

なおここでは「法王」という呼び名を使いましたが、カトリック教会側としては「教皇」という呼び方をして欲しいんだそうです。(ここ参照)新聞やテレビでは法王とされてるし、歴史の教科書や参考書では教皇と書いてあるのを読んで勉強したので、私はどっちでもいいやと思ってるんですが。マスコミでも「教皇」と呼ばれるときが来るのでしょうか?
スポンサーサイト
この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)
http://wrkakukatariki.blog87.fc2.com/tb.php/23-d2ae2b55

1件のトラックバック

[T3] カノッサの屈辱

カノッサの屈辱カノッサの屈辱(カノッサのくつじょく)#1077年に、カノッサにおいて神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世が、ローマ教皇グレゴリウス7世に破門の許し

0件のコメント

コメントの投稿

投稿フォーム
投稿した内容は管理者にだけ閲覧出来ます

Appendix

(^_^)






プロフィール

WR

Author:WR
札幌出身、東京某所で一人暮らし中だったのが首都圏脱出し、現在は国内某所に生息中(^o^)
長年患った自律神経失調症も現在は完治状態、
東京にある某社の一会社員として仕事していたのが退職してしまったので、いまは無職状態。
翻訳は金にならないと知りながらも再挑戦、だが悪戦苦闘の結果、才能がない事を悟る...
コンサドーレ札幌をしつこく応援中(^_^;
こんなページですが、ひとつ読んでやってください<(_ _)>

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

(^o^)

本日のアクセス

ブログカウンター

昨日のアクセス
総アクセス数 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。